いらっしゃいませ。
本日は飲みながら考えます。
中学受験でゼタ(是太郎。息子)に
自走は必要かについて。
9月はちょっと手を離してみたの。
心配したほど(↓)ではないものの
(再掲)
やっぱり偏差値は下がるよね。
順位もね。
(図)塾のテストの偏差値
これでいいのよね?
。。頭の整理をしましょう。
よろしければお付き合いください。
頭の整理
何がモヤるかって
親が手を出した方がゼタは伸びる
気がすること。
短期的にはそれで良くても
長期的には伸びないと言われています。
それって中受終わってからではダメ?
手を離した子が伸びる、って本当?
伸びる子だから手を離せたのでは?
周りはどれくらい
手を離している状態なのかしら?
本当に離すのかしら。
うちは自走してる〜と言いつつも
親子で全速力で走っているのでは。
我が家だけ言われるままに手を離して
後悔したりしないよね?
むむ。自走って何よ。自立とは。
書籍は読んだけれど納得していないわ。
ゆすらは自分で勉強する子だったけれど
自己流になってしまったの。
時間と暗記でカバーする系の。
これは後から苦しい。
社会人になってから特に。
ゼタみたいなサポートを
受けられていたらなぁと思うの。
言葉の定義
夫:
「ゼタに計画の立て方を教えてるけど
大人でも難しいよね」
我が家はゼタに
高度なことを求めすぎているのでは?
「手を離す」という
塾の先生と同じ言葉を使っていても
レベル感が合っていない気がするの。
中受の勉強における自立とは
学びの深さを自分で決めて追求できる
ということでいいと思うのだけれど。
関係者で言葉の定義を確認しないまま
走っちゃダメね。
きっと時間軸と程度の問題なのでしょう。
認識をすり合わせていきたいわ。
学校選びと価値観
塾内の偏差値や順位で盛り上がるのは
4年生がピークでは?
4年生は参加者がほぼ出揃い、
偏差値も意味あるものになり
結果が順位でフィードバックされるなど
新しくてわかりやすくて刺激的なのよ。
中受ブログでもそうなっているような。
5年生、6年生はもっと冷静だわ。
志望校が決まればそこへの合格が第一。
目線はそちらへ移っていくでしょう。
学校選びの始めは
「結局は偏差値でしょ」と思っていて
何なら今も思っているけれど
情報収集とゼタの成長が同時進行する中で
・管理から自由へ
・国内から海外へ
・偏差値から生き方へと
視点が動いていくのを感じたわ。
中学校に入ったらば
そこでどれだけ楽しめるかが重要です。
翻って今
小学校を楽しむことやピアノやサッカー
海で泳げることや雪山で動けることにも
再度心が向かう。
なぜかサバイバル気質。
中受に重点的に取り組むけれど
他も中断しないというか。
手を離すことで
学校の偏差値が一つ下がったとしても
勉強の自立が大切に思えてくる。
一方で
まずは入ってからでしょ
という気持ちもある。
手を離すこと、離さないこと
そしたら
誰もが持っている一日24時間を
うまく使うことが最重要。
ということになるわ。
我が家の場合、
親が介入して一番意味があるのは
これじゃないかしら。
ゼタは
簡単にできることに関しては
時間の使い方が上手くなったわ。
でも
今は間違える問題が少ないので
大嫌いな直しにもさほど時間がかからず
何とか回っているの。
これが5年生でどうなるか。
考えさせるような問題に怒らず泣かず
時間を使って取り組めるかが課題で
これに関しては手を離すしかないわ。
できるかな?
- - - - - - -
本日の結論:
勉強の深さについては手を離す
時間の使い方については手を離さない
- - - - - - -
長文にお付き合いくださり
ありがとうございました。1,500字でした。
おしまい。
- - - - - - - - - - - - - - -
にほんブログ村