中学受験ブログではしばしば
「(お子様が)本当によく頑張っている」
と仰る保護者様がおられます。
我が子をよく見ている
親をもってそう言わしめるなんて
そのお子様は本当に頑張っている
のだろうなと思います。
ゼタ(是太郎。息子)は…
頑張っている時もあるけれど
頑張っていない時も長い。
頑張っているとは
どういう時に「頑張っている」と
自分に、周りに、
思わせるのかしら?
今の時期の6年生なら分かるわ。
親が心配するほど勉強するとか。
さすがに来年の今頃は我が子も
そうであってほしいと期待を込めて。
通塾1年未満の3,4年生でも分かるわ。
学校が終わってから
塾へ行くだけでも頑張っていると
思える時期がゼタにもあった。
どちらも親の期待を子の行動が
上回っている場合です。
前者は親の期待も高いけれど
子の行動も尊い。
後者は子の行動の難易度は低くても
親の期待値も低い。
本当に頑張っている時は
本人は頑張っていると思ってなくて
他者の目には頑張りが見えるという
幸せな状態です。
ゼタとゆすらの場合
ゼタは頑張っていない時に
「頑張っているね」
という言葉を求める。
サボっていることを
他者の評価で正当化したい
という気持ちが見える。
そんなのお見通し。
頑張っていない時は
本人も頑張っていないことが
わかっている。
そんな時に頑張っているねとは
言えないわ。
「僕がんばる」などと言う時は
最もあやしい。
自分に誓っているのではなく
ゆすらに言ってるのよ。
成績よりも、中受を通して
こういう性根を
ゆすらの基準も厳しいと思うし
子の頑張りを認めない親が
問題視されるけれど
ゆすらが思う「頑張っている」は
最低限のことをした上で
自主的に継続的に何かをする様子のこと。
頑張る時は嬉しいも辛いもなく、無。
淡々とすべきことをして
後からその積み重ねを見て
「頑張ったなー」と思うくらい。
登山のような。
ゼタはそれをすると
はっきり結果に表れるので
ゼタの頑張りが分かるのは
テストの成績が良かった時です。
でも良い成績をもたらした頑張りは
テスト終了時にはすでに過去のもの。
テスト結果をもって
過去の頑張りを褒めると
ゼタは「頑張り終了」の行動を取る。
だからゆすらはテスト結果については
「良かったね」と言う。
ゼタが頑張っていない時は
塾が「最低限これだけは」という
宿題をしていない時。
塾よりも簡単な学校の宿題を
なかなかしない時。
テスト前に余力があるのに逃げる時。
これらの共通点は
難しくないのに面倒な気持ちが勝ること。
頑張ってはいないがなぜか辛い状態。
頑張ることと辛いことを
混同しているような。
本当は頑張っていないから辛い。
やる気が出て取り組んでいる時は
あるけれど
やる気を原動力にして
頑張ろうと思って頑張るのは
とても大変だし続かないから
頑張らなくてもやる気がなくてもできるよう
大切なことは習慣づけることを
重視してきたけれど
母が言ってるうちはできませんなー。
でも最大の悩みは
母が言わなければ
いつまでもやらないこと。
ここで我慢して
あるいは永遠に見守るべきか
それを放置というかの判断が難しいわ。
おしまい。
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